うさぎ日記◆ミロとミモザの優雅な毎日

おてんば、わがまま、甘えん坊うさぎの話

雑記

春だよね

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初夏のような日があったり、寒くなったり、
最近は雨が多かったりしてますが、
庭は緑になり
ミロも楽しそう。

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アネモネの花も開きました。

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私は、母の病院への途中
ちょっと遠回りをして、
JR相模線の線路脇にある遊歩道で桜見。
昨年病院に通うようになって新しく見つけたスポットで
短い距離ながら、ちょっと心が落ち着くお気に入りの場所。

やっぱり、桜はいいな~。

春の足音

沈丁花が咲いた。
春の香り。

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今、楽しみなのは、アネモネ。
蕾がもうすぐ開きそう。

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2月後半は体調が優れなかった。
体がだるく、全身あちこち痛みがある。
おまけに雨が続いた。
病院通いが、ちと辛い。
母のお見舞いを数日さぼってしまった
…ごめんね。
ヨガも2回休んでしまった。
…残念。

3月になって、体調もなんとか復活。
春の足音も聞こえてきた。
がんばろう。

旗日

昨日は、休日、「建国記念の日」。
母に、何の日か聞くと、「紀元節」という答えが返ってきた。
戦前は、2月11日は「紀元節」だった。

そう言えば、私の子供の頃は、
玄関横に、国旗を立てる為の金具が取り付けてあって
休日には、旗を立てていた。
だから、休日のことを「旗日」とも呼んでいた。
今は、そんな光景見ないし、
第一、家に国旗持ってる家庭はすくないだろうなあ。

そんな事を考えながら街を歩いていると、
なんと、神奈中バスが国旗を飾って走っていた!

退院、入院、退院、入院・・

昨年の夏に脳内出血で入院した母は
現在は、回復期リハビリテーション病棟のある病院へ転院し
体力と生活機能の回復をめざして頑張っている。
と言うか、病院のスタッフの方たちが、とても頑張ってくれている。

毎月一回、担当のリハビリスタッフの方達から
治療報告とこれからの計画の説明会がある。
一月末の説明会では、退院とその後の自宅介護へ向けての
具体的な計画を話し合い
退院も近いと再認識して帰宅した。

ところが、その日の夜に病院から連絡があり
母が転倒して、顔と手を骨折し
別の救急病院へ搬送されるとのこと。

寒い夜だったが、
馴染みのない道に自転車を走らせ
病院へ駆け付けた。

母は顔の右半分が赤紫に腫れ
鼻や口のまわりに出血の跡、
パジャマもあちこち血がついていた。
母は痛い痛いと訴える。
幸いなことに、意識ははっきりしていた。

右手首の骨折は仮固定をし
レントゲン、CT、血液検査などをして
翌日詳しい診断をしましょうと
その救急病院に入院することになった。
母を病院に残して
私が帰宅したのは、真夜中を過ぎていた。

翌日は、これまで入院していたA病院へ
荷物などを取りに行き、退院手続きをし、
それからB病院に行って入院手続きをした。

担当医から病状の説明を聞いた。
骨折箇所の手術はしなくてよいことになり、
心配された、視神経と顔の感覚神経への影響も
なさそうとのことで、
A病院に戻ることになった。

その日のうちに、B病院の退院手続きをして
またA病院の入院手続きをした。

母は、怪我をしたことで動転していたし
病院が変わるなど急な環境の変化は
認知障害が進む可能性も大きかったので
一泊だけで、もとの病院に戻れたのは良かった。

とは言え、一泊二日、滞在時間15時間程で
差額ベッド代もパジャマ・タオル等のリース代も二日分。
病院間の移動は介護タクシー。
病状の心配が軽くなると、財布の心配が頭に浮かんでくる。

A病院に戻った翌日は、
形成外科の診察を受けるために
C病院を受診。(A病院とB病院には形成外科がなかったため)
こちらでも、新たな治療の必要はないとのことでA病院に戻った。

A病院では、病院のスタッフの方達と顔見知りの患者さんが
心配してくれていて、戻ってきた母に声をかけてくれた。
手首の固定は4週間くらいかかる。
骨折箇所に無理をかけないように
リハビリ計画もいくらか変更があるかもしれないが
とりあえず、一段落。

私が疲れてぼーっとしていると、
ミロが高い所から見ていた。

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トラ騒動

昨年の大晦日に、九州から叔父がやって来た。
病院でお正月を迎える母の見舞いにと
たくさんの荷物とサプライズと善意を持ってやって来た。

たくさんの荷物の一つが、トラのぬいぐるみ。
叔父がたいそう気に入って手に入れた物らしく、
寅年の母へのプレゼントにと
新幹線に乗せて、連れて来た。
ところが、このトラがトラブルのもとに。

大晦日の日は、病院で叔父と待ち合わせたのだが、
私が行った時には、既にトラは話題の的。
叔父も皆の反応に満足らしく
トラ自慢や道中のトラブル話などを滔々とまくしたてる。
そして、トラを母のベッドに置いて帰るのでと
その場所や向きを指示していた。
ちょっと待て。
大きなトラのぬいぐるみを持ってくるのは事前に聞いていたが
病院で母に見せた後、家に持って帰ることになっていたではないか。
母は個室ではない。
四人部屋で、私物を置く場所もほとんどない。
それに同室の患者さんの一人は
トラが怖いと、部屋から逃げているというのに。

私がトラを持ち帰ろうと言ったことで、彼を怒らせてしまった。
明白な理由もなしに、何の権利もない私が頑なに反対していると。
  (他の患者さんの迷惑になったり、医療行為に支障が出るような荷物は置いてはダメなんじゃないかな。
   母は認識があやふやなところがあるので、何かを決めるのは私が代行しているんです。)

話は平行線のまま、叔父が病院のスタッフに問いただしに行った時、
車椅子に座っていた母が、ふいと一人で立ち上がり
前のめりに転倒して、額をぶつけてしまった。
まだ母は一人で立つことはできないのだ。
びっくりして看護師さんを呼んで処置してもらったが、
私はもうトラのことはどうでもいいと思ってしまった。
問題があるようなら、病院の方からはっきり言ってもらったらよい。

ということで、その日はトラと母を残し
叔父を母の家に案内した。
叔父の滞在中は母の部屋を使ってもらうことにしていたのだ。

翌日の元旦は、私は仕事が遅くまであって、病院に行けなかった。

三日に、病院から外出許可を取って外で食事会をすることにしていた。
叔父は最初、温泉旅行に行きたいと言っていたのだが
母の状態では、とうてい無理なこと。
その代わりの食事会なんだが、この準備が結構大変。
入院して以来初めての外出だったので
いざ外出の申請をしてみると、いろいろ問題が出てくる。
あちこち交渉したり、手配したり。
前日は、母の服装や準備の確認などをして
帰ろうとすると、叔父が思わせぶりなことを言う。
後でわかったことだが、
件のトラが病室から消えていた。
つまり、ベッドにトラを置いておくと、足をのばせず寝にくかったと
母に言われたらしい。
……

食事会でも、叔父はなかなかのワンマンぶりをみせてくれた。

そして、一週間ほど滞在した後
トラを抱えて、叔父は九州に帰って行った。
えっ、トラは置いていかないの?と思ったけど
ちょっと懲りていたので、あまり追求せず
写真だけ撮らせてもらった。

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